今週のHotWard。何かこの言葉が頭から離れない
そもそも生まれてから40年ちょっと覚悟を決めたことはほぼない
決める振りをしてきたことは沢山あるけど
唯一あるとすれば、家族が何不自由なく、裕福でも貧乏でもなく
何不自由なく、普通に生きていけるように、頑張って生きるということか
これが「唯一の不退転の覚悟」かもしれない?と思っているが・・・・
そもそも「不退転」とはどういう意味なのか?
不退転とは決して退くことも、屈することもしない、
固い決意という意味で使われるようです。
これは、仏教の用語のようで
修行の過程ですでに得た悟りや地位を決して失う
ことがない、一度達した境地から退かないこと、
自らが得た悟り、それを常に上へ上へと昇ろうと努力すること
その決意を持って精進すること、生きるうえでの目標や主義主張
というような意味らしい
目標や主義主張が簡単に変わってしまうような人物が
「不退転」という言葉を使うことは、よくないようです
これは、自分の日常生活では、軽はずみに口にしてはいけない
ワードだった!でもまぁ、「唯一の不退転の覚悟」には当てはまっているかも
「覚悟」とはどういう意味なのか?
危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる
心構えをすること
迷いを脱し、真理を悟ること、きたるべきつらい事態を避けられない
ものとして、あきらめること、観念すること、覚えること
という感じです。
つまり、不退転の覚悟っていったい何か?
結局、自分を信じて、世の中に屈することなく、決意をもって生きろ!
だいたい、こういうことでしょ。
自分とは、全く真逆にあるような言葉だな?
まず、自らが悟りの境地に達していることがない
これが、問題だな?何で悟りを切り開いていくか?
恐らくこの悟りというものがあれば、次のステップに進めるか・・・
悲しいかな、世の中に何かをもたらしたり、誰かに何かを与え、喜んで
もらえるというものも無いし、あったとしてもその自信はない
世の中には、屈してばかりか
人付き合いは、苦手なので、何の意見も言わない
屈するどころか、屈することが面倒なので、屈するようなステージ
に上がることをしない
この「不退転の覚悟」という言葉一つで、こんなに今の自分をうまく
現すことができる、さすが仏教用語、言葉はあなどれない
結局、どういう状態なのか?
要約すると、何かを悟ろうとも、知ろうとも、興味を持とうも
しないので、誰かに何かを与えるようのものがない
故に、自らの悟りを何と言われようとも主義主張するのだ
という想いもない、逆に面倒だし、ステージに上がらない
結果、何かの決意をもって生きる!そんな想いは湧き出てこない
なかなか難しい人生だ
問題の解決に向けて
この「不退転の覚悟」でだいたい問題点はわかったわけで
わかったことの逆のことをしていけばいいのだ
何かに興味を持って、知り、悟りを持てばいいのだ
次のその悟りを広められるステージに立てばいいのだ
そこまでいけば、多分屈することはないでしょう
世の中、普通に生きて、サラリーマンをやっている日常で
それなりの主義主張をすれば、屈する場面なんてそうそうない
だいたいの人は、「不退転の覚悟」なんて持っていない
少なくとも2:8の原則で8の人は、なんとなく生きている
「不退転の覚悟」を持って生きるのか、生きないのか
そこまで、重要な話でもないとは思うけど、人生を楽しめる人は
確実に「不退転の覚悟」を持った人なのではないかと思う
いい言葉だ!いつかそうなれれば、ではなく、明日からそうすればいい
一歩踏み出す勇気や!
2021年もあと10日ほど・・・、時間が経つのは早いな
カウントダウンと合わせて、ブログ100記事もカウントダウン
これで96記事目、あと4記事年内に書き上げる!これは「不退転の覚悟」
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